
庭球部の歴史
庭球部とは
1901年に創部した慶應義塾体育会庭球部は、日本で最初に硬式テニスを採用した部活動です。日本のスポーツ選手で初めてオリンピックでメダルを獲得された熊谷一弥先輩(1915年卒業)をはじめとし日本を代表する名選手を多数輩出し、日本のテニス界を牽引してきました。長い歴史の中で変容を遂げてきた慶應義塾體育會庭球部の創部100年の全容は以下からご覧ください。


蝮谷テニスコートの歴史
テニスコートのある蝮谷一帯は、戦時中に海軍の一拠点でした。そのため、今でもその名残として地下壕があります。現在一般公開はしておりませんが、慶應義塾は不定期に見学会を催しています。このように普段練習している環境は非常に歴史のある場所となっております。
慶應義塾誕生
1858年
安政5年
江戸築地鉄砲州に開いた蘭学の一小塾が新銭座に移転され、慶應義塾が誕生。大学部は1890年(明治20年)に発足。
體育會庭球部創部
1901年
明治34年
日本で最も古い大学庭球部。創部と同時に1892年(明治25年)に創設された體育會に加入。初代庭球部長は雨山達也で、創部当初は軟式テニスであったが、1914年から硬式テニスを採用した。
1876年に初めて日本でテニスが横浜の外国人居留地に伝えられた。
第一回早慶対抗庭球試合開催
1924年
大正13年
4月26日に大森コートにて第一回が開催された(女子は1954年)。同年からリーグ戦も開始(女子は1959年)。全日本大学対抗庭球王座戦初開催は1947年(女子は1965年)。
前年から小泉信三が初代三田会長に就任。
練習場所が日吉蝮谷コートに
1933年
昭和8年
創部以来、三田山上コート、三田綱町コート、天現寺コート、四谷コート、大森コートと5ヶ所を使用してきたが、日吉キャンパスが開校すると同時に、日吉蝮谷コートが誕生し、練習場所が移された。
女子部員誕生
1952年
昭和27年
庭球部が50周年を迎えた翌年、女子部員が誕生。
1954年には女子第1回早慶対抗庭球試合開催。1959年からは第1回女子リーグ戦開催。
王座男子初優勝
1953年
昭和28年
日本で最も古い大学庭球部。創部と同時に1892年(明治25年)に創設された體育會に加入。初代庭球部長は雨山達也で、創部当初は軟式テニスであったが、1914年から硬式テニスを採用した。
1876年に初めて日本でテニスが横浜の外国人居留地に伝えられた。
王座女子初優勝
1966年
昭和41年
創部と同時に體育會に加入。大塚千代造らが塾庭球部の前身となる清遊ローンテニス倶楽部を創立した翌年に創部。初代庭球部長は雨山達也。
創部当初は軟式テニスであったが、1914年に硬式テニスを採用した。
「練習ハ不可能ヲ可能ニス」石碑完成
1967年
昭和42年
現在、一番コートの脇にある小泉信三元塾長の名言。
男子第100回早慶対抗庭球試合開催
1975年
昭和50年
4月12日開催。通算73勝27敗。
7月20日には第100回早慶戦記念三田稲門懇親会開催。
創部100周年
2001年
平成13年
現「慶應庭球一〇〇年」を記念に出版。
慶應チャレンジャー国際テニストーナメント初開催
2007年
平成10年
現日本テニス界の活性化を目的に、初開催。
女子第100回早慶対抗庭球試合開催
2018年
平成30年
5月12日13日。40勝60敗。
新部室完成
2018年
令和元年
約80年間使用した旧部室を立て替えた。旧部室が平屋建てであったのに対し、新部室は二階建てとなった。